日本におけるカウンセリングと心理療法
「感情を抑え込むか、それとも“分かち合えば半分になる苦しみ”か?」
― 日本社会におけるメンタルヘルスサポートの普及と受容を考える ―
執筆:Refugium Tokyo 代表 ニコラス・デルモータ博士(臨床心理士・PhD)
長年日本で心理療法を行ってきた私には、西洋の同業者からしばしば質問が寄せられます。「日本ではどのようなメンタルヘルスケアが行われているのか?」「人々はカウンセリングを受けるのか?」「治療方法は異なるのか?」「そもそも日本社会ではメンタルヘルスがどう受け止められているのか?」――これらはどれも簡単に答えられる問いではありません。臨床心理士としての経験から言えるのは、「一つの明快な答えは存在しない」ということです。
現在、日本ではメンタルヘルスに対する“目覚め”が起こりつつあります。しかし、根強い伝統的価値観が、心理的サポートを「求める」または「避ける」個人の行動に今なお大きな影響を与えているのです。この対比を理解するために、まずは日本の文化的背景を見ていきましょう。日本におけるメンタルヘルスの文化的背景 日本では、すでに604年に聖徳太子が儒教の影響を受けた文書を発表し、社会の調和・権威への敬意・自己抑制を重んじる価値観を示しました。この考え方は、個人の感情や欲求を抑え込み、他者にネガティブな気持ちを押し付けないことを美徳とするもので、現代に至るまで日本社会の行動規範に強く影響しています。一方で、西洋心理学はフリードリヒ・ニーチェやセーレン・キルケゴールのような思想家の影響を受け、「個性」や「本来の自分であること」を重視します。対話や内省を通じて自己成長を追求し、心の声を表現することが奨励される西洋文化とは、根本的な価値体系が異なるのです。この文化的ギャップは、メンタルヘルスに関する統計にも明確に現れています。
アメリカやヨーロッパでは平均して52%の人がカウンセリングを利用しているのに対し、日本ではわずか6%です。公式には日本のうつ病有病率は10%ですが、西洋諸国では30%に達しています。それにもかかわらず、日本の自殺率はOECD加盟国の中で3位(韓国とハンガリーに次ぐ)となっています。つまり、日本にも深刻な精神的苦痛が存在しているにもかかわらず、不安や抑うつ、感情的な痛みについて専門家に相談する人は非常に少ないのです。代わりに重視されるのが、「我慢」という価値観です。これは「文句を言わずに耐えること」を意味し、軽度の困難であれば称賛に値するかもしれませんが、深刻な感情的苦痛の場面では危険な抑圧に繋がりかねません。そのような場合、パートナーや親しい友人、あるいは臨床心理士との「感情的なつながり」が不可欠になります。人とのつながりによってこそ、感情を解きほぐすことが必要なのです。
日本における精神疾患への認識の芽生え
日本が精神疾患を受け入れることに苦慮してきた一例が、抗うつ薬の導入です。1990年代後半、アメリカの大手製薬会社がプロザックなどの薬を日本市場に展開しようとしましたが、定着には至りませんでした。当時のメッセージは明確でした:「日本人は“うつ病”を信じていない」。 状況が変化したのは2006年、日本の製薬会社がうつ病を「心の風邪」という表現を用いた国内のキャンペーンです。この比喩により、精神疾患が少しずつ一般の意識に浸透し始めたのです。現在では、精神科の薬物療法はかなり一般化しました。しかし、“話す治療”――つまりカウンセリングや心理療法――には、今なお社会的なスティグマ(偏見)が根強く残っています。セラピーを受けることは「甘え」や「弱さの表れ」と見なされることもあります。さらに、日本では心理療法が国民健康保険の適用外であるため、費用は全額自己負担です。また、心理士の専門的地位を守る包括的な法律も整備されておらず、職業としての信頼性が確立しにくいという現実もあります。 2023年時点で日本にはおよそ41,900人の臨床心理士がいますが、フルタイムで活動している人はごくわずかです。資格は取得しても実際に臨床活動を行わない「ペーパードライバー(=“運転しない免許保持者”)」が多く存在しているのが実情です。 それでも、社会の意識は少しずつ変化しています。職場では従業員のメンタルヘルス対策が法律で求められるようになり、教育現場ではメンタルヘルス教育の導入が進められています。さらには、AIによる匿名相談の普及などを活用して羞恥心なく感情を表現できるようにする試みも開発されています。
心理療法の手法 ― 西洋と日本の融合
日本の精神医学の初期には、フロイトやアドラー、ユングといった西洋の心理学者の影響を受け、1912年から1926年にかけて西洋型の臨床心理学が急速に広まりました。現在、日本のカウンセリングルームでは主に西洋的な手法が使われています。
一方で、日本独自の心理療法も存在します。代表的なのが「森田療法」と「内観療法」です。内観療法では、クライアントに以下の3つの問いを通じて自己を省みることを促します:
1. 自分の身近な人は、これまで自分に何をしてくれたか?
2. 自分はその人に何を返したか?
3. 自分はその人にどんな迷惑をかけたか?
注目すべきは、「他人から自分がどんな被害を受けたか?」という問いが含まれていない点です。これは、日本文化における“共感”と“責任”の重視を反映しており、“被害者意識”や“他者非難”よりも自己の反省が重んじられるのです。 西洋的な心理療法が徐々に受け入れられる中でも、日本では「おもてなし」や「思いやり」といった伝統的な価値観が根強く残っており、「他人に迷惑をかけないために感情を隠す」という行動が根付いています。危機の際であっても、人に助けを求めるよりも引きこもる傾向が見られます。しかし、沈黙はときに危険を招くのです。
新たなメンタルヘルス文化に向けて
では、日本のカウンセリング文化はどう変わりつつあるのでしょうか? ゆっくりではありますが、確かに進展は見られます。しかし、「我慢」や「思いやり」といった文化的規範はいまだに強く、多くの人々が支援を求めることをためらっているのが現状です。今後さらに、社会的な議論や教育、助けを求める行動が、当たり前になることを願うばかりです。
オーストリアには「Geteiltes Leid ist halbes Leid(苦しみを分かち合えば半分になる)」ということわざがあります。これは、私が東京で心理療法を行うなかで、幾度となく目の当たりにしてきた事実です。